始祖・親氏の子で3代目当主。2代目・泰親とともに岩津城を攻めて、そこを本拠地に、大給(豊田市)、保久(岡崎市)を攻めとり、西三河の1/3を支配した。信光は松平宗家として、信光の兄・信広は松平郷を治め、松平太郎左衛門家を継承。以後、安定した松平政権を維持できたのは、彼が48人もの子を成し、85歳まで生きて、ゆるぎない族党組織を作り上げたからこそである。
1543 ~ 1616 年
松平宗家の8代目当主、松平広忠の子。幼少期より織田・今川氏の人質として過ごす。22歳の時に、三河国統一を果たして松平姓を改め、徳川家康と名乗る。信長・秀吉に臣従して天下取りを狙っていたが、59歳で起こした関ヶ原の戦いに勝利して政治の主導権を握ることに成功。江戸幕府を開き、以後260年以上続く幕藩政治の基礎を作った。
榊原康政は、三河国上野(上郷町)で松平家・酒井家に仕える榊原家に生まれ、家康の小姓となる。情報を集めて判断することに長け、機転を利かして敵の裏をかく康政は、家康の戦いになくてはならない人物だった。さらに、指揮官としての能力も高かったことから、本田忠勝、酒井忠次、井伊直政とともに「徳川四天王」と呼ばれた。