大給城跡
おぎゅうじょう
大給城は、1400年代から1500年代後半にかけて、軍事的に重要な役割を果たした大規模な山城と言われています。松平家初代の親氏が領した「松平郷」の中心部から西へ約3km、豊田市や西三河の平野部を望む標高約200mの山上に位置し尾張地方まで遠望できます。最初に城を築いたのは長坂新左衛門というこの地の武将でしたが、松平家が松平郷から南へ西へと勢力を伸ばしたため、宗家3代松平信光(1404-1488)に奪われることとなりました。
信光の孫である乗元(1446-1537)は、この城を支配することを許され、大給松平家の祖として拡大していきました。この大給松平家は、1500年代半ばに地元で隆盛を高め、他の松平家としばしば領土や影響力を争ったそうです。この城は、2つの主要道路と川が交差する場所を見渡せる所に位置し、山腹に掘られた空堀で守られ、また、虎口と呼ばれる入口には土塁が設けられ、侵入者を見下ろせるようになっており、今でもその一部が残っています。巨大な岩の間を縫うように続く道の両側の石垣には見張り台が設置されており、自然の要塞として利用されていたようです。
山上の平らな部分には城の本丸があったと考えられていますが、どのような構造だったのかは明らかになっていません。頂上の端には巨岩があり見張り台になっていたようです。全国的に稀な遺構としてあげられるのは「北沢水手」です。これは、石で固められた段々畑のようで、暗渠と取水口を設けた谷を石垣で塞いで、敵の侵入を防ぎ、城内に水を貯えるための小さなダムの役割を果たしていたと考えられています。
本丸の南下側にある城内で最も広い平地は、大給松平家の屋敷跡だったと考えられています。
天正18年(1590年)に廃城になったとされる大給城は、比較的よく保存されており、天守閣や高い石垣が普及する以前の日本の城の姿を知ることができます。
台数は少ないですが駐車場から山上の主郭まで歩いても20分ほど。森の中の史跡を眺めながらたどり着けば、そこには岡崎、豊田市街地や尾張地方まで眺められる絶景が広がります。
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<販売先情報>
【松平東照宮(社務所)】
豊田市松平長赤原13
TEL:0565-58-1621
開館時間:毎日10時~15時
アクセス:とよたおいでんバス下山・豊田線「松平郷」下車。徒歩約10分
車は東海環状自動車道「豊田松平IC」より約15分
所在地 | 〒444-2217 豊田市大内町城下3 |
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電話番号 | 0565-77-8089(松平観光協会) |
駐車場 | 0565-77-8089(松平観光協会) |
開催場所 | 大給城跡 |
公共交通機関での アクセス方法 |
名鉄三河線/豊田線「豊田市」駅より、とよたおいでんバス下山・豊田線大沼行きに乗換え、「大内」バス停下車。登山口まで徒歩約15分。 |
車でのアクセス方法 | 東海環状自動車道「豊田松平IC」より約10分 |