いざ登城!とよた山城スタンプラリー | 【公式】愛知県豊田市の観光サイト「ツーリズムとよた」
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いざ登城!とよた山城スタンプラリー

豊田市内には山城がなんと160ヵ所以上もあり、一部は石垣・曲輪・堀などの遺構が当時に近い状態で残っています。この秋は豊田の誇る歴史に触れてみませんか?山城は低山を登るので、運動にもなり、下りてきたあとの食事は格別に美味しく感じます。知識・運動・食など秋になると楽しくなることばかりの山城観光!
秋を感じながら豊田の山城をスタンプラリーで是非お楽しみください。

12ヵ所 登城して目指せ!!!とよた山城マスター!!!

小原和紙で作成したオリジナル御城印をプレゼント

12ヵ所達成したとよた山城マスターには、小原和紙で作成された御城印帳をプレゼントします。
※ スタンプラリー期間終了後に登録住所に発送します。
※ イメージ写真となります。完成品とは異なる場合があります。
※ 御城印帳は1冊ずつ異なる和紙を使用する為、イメージ写真とは表紙の色が異なります。また色柄の指定は致しかねます。

チェックインスポットは全12カ所

豊田

挙母城隅櫓(桜城)・桜城址公園

挙母城(桜城)は、上州国安中城よりこの挙母の地に転封し藩主となった内藤政苗(まさみつ)が、1756年より工事を行ったとされる城。しかし、築城半ばにして矢作川の洪水の難を避けるため、童子山に第2の挙母城(七州城)が築城されることになりました。現在、桜城は隅櫓の石垣が残るのみとなり、公園として利用されています。
春に美しい桜の風景を楽しめます。

桜城址公園
桜城址公園
豊田

挙母城隅櫓(七州城)

童子山の高台には、かつて挙母城の城郭(本丸)が置かれていました。この挙母城は、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・伊賀国・伊勢国・近江国の7つの国が望めることから七州城と名づけられました。現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。1978年(昭和53年)には隅櫓が復元され、童子山に挙母城があったことを今に伝えています。

挙母城隅櫓(七州城)
豊田

上野城跡(上野上村城跡)

上野城は、応仁の頃(1467)伊勢貞親の被官であった戸田宗光による築城と伝えられています。宗光が渥美半島に移った後は、阿部氏が治めていましたが、明応2年(1493年)井田野(岡崎市)の戦いに勝利した松平家の居城になりました。
松平家の内乱後は、酒井忠尚が城主になりましたが、永禄6年(1563年)忠尚が三河一向一揆の総大将として蜂起したため、徳川家康に攻め落とされてしまいました。

上野城跡
上野城跡
上野城跡
豊田

寺部城跡

寺部城は15世紀、文明年中鈴木重時によって築城された城です。のちに尾州徳川家の家老職(初代渡辺守綱)の居城(陣屋)となりました。鈴木氏時代の遺構は西側の土塁のみで、あとは江戸時代末から明治期の館の建物の礎石です。土塁は、幅5.1m、高さ2mの立派なもので、土塁の外側は堀となっています。建物は、母屋、書院、茶席、土蔵などがありました。城の面積は約1万平方メートル、城中には井戸が3か所あり、籠城に備えたものと考えられています。

寺部城跡
寺部城跡
寺部城跡
松平

松平城跡

松平城は家康公の先祖にあたる松平親氏によって築かれた城。
城には、本丸と二の丸があったと言われ、山腹には山を包む様に約400mの空堀の跡が残っています。
城跡は室町時代の典型的な山城であったと推測されるもので、日頃は松平郷の居館にすみ、いざ戦いとなるとこの城にたてこもったと言われています。
親氏が信光とともに岩津城へ移ってからは信広の居城になりました。

松平城跡
豊田

大給城跡

大給城は、1400年代から1500年代後半にかけて軍事的に重要な役割を果たした大規模な山城と言われています。松平家初代の親氏が領した「松平郷」の中心部から西へ約3km、豊田市や西三河の平野部を望む標高約200mの山上に位置し尾張地方まで遠望できます。最初に城を築いたのは長坂新左衛門というこの地の武将でしたが、松平家が松平郷から南へ西へと勢力を伸ばしたため、宗家3代松平信光(1404-1488)に奪われることとなりました。

信光の孫である乗元(1446-1537)は、この城を支配することを許され、大給松平家の祖として拡大していきました。この大給松平家は、1500年代半ばに地元で隆盛を高め、他の松平家としばしば領土や影響力を争ったそうです。この城は、2つの主要道路と川が交差する場所を見渡せる所に位置し、山腹に掘られた空堀で守られ、また、虎口と呼ばれる入口には土塁が設けられ、侵入者を見下ろせるようになっており、今でもその一部が残っています。巨大な岩の間を縫うように続く道の両側の石垣には見張り台が設置されており、自然の要塞として利用されていたようです。

山上の平らな部分には城の本丸があったと考えられていますが、どのような構造だったのかは明らかになっていません。頂上の端には巨岩があり見張り台になっていたようです。全国的に稀な遺構としてあげられるのは「北沢水手」です。これは、石で固められた段々畑のようで、暗渠と取水口を設けた谷を石垣で塞いで、敵の侵入を防ぎ、城内に水を貯えるための小さなダムの役割を果たしていたと考えられています。
本丸の南下側にある城内で最も広い平地は、大給松平家の屋敷跡だったと考えられています。

天正18年(1590年)に廃城になったとされる大給城は、比較的よく保存されており、天守閣や高い石垣が普及する以前の日本の城の姿を知ることができます。

台数は少ないですが駐車場から山上の主郭まで歩いても20分ほど。森の中の史跡を眺めながらたどり着けば、そこには岡崎、豊田市街地や尾張地方まで眺められる絶景が広がります。

大給城跡
大給城跡
大給城跡
足助

足助城

真弓山(標高301m)にある足助城は、足助の町並みを見下ろすことができ、15世紀以降に西三河山間部に勢力を持っていた鈴木氏が築城したと考えられています。
1590年(天正18年)の家康の関東入国に従って関東に移ったため、廃城となりました。現在は城跡公園足助城として整備されており、高櫓・長屋・物見矢倉・厨(くりや)などの建物が復元されています。発掘調査成果に基づき「全国ではじめて復元された山城」です。

足助城
足助城
足助城
下山

大桑城跡

15~16世紀に巴川と大桑川の合流地点の高所に築城された山城で、城主は川合弥十郎と伝えられています。
城主は平時には麓の居館に過ごし、戦時にはこの城で指揮を執っていたと思われます。
戦国時代に大桑城の周辺は甲斐の武田氏が三河や遠江に進出する為に、城郭の攻防が行われていました。
「東照軍鑑」には1550年に駿河の今川義元に従わない者の中に、川合弥十郎の名前が記述されています。
1565年に徳川家康が大沼、田代へ出陣した際に川合弥十郎を引き付けて帰陣したとあります。
1571年に武田氏が25000の軍勢で足助城や大沼城、田代城を攻め落としたとされ、この際に大桑城も落城したと考えられています。現在では主郭の虎口、土橋、空堀、土塁が残され見どころとなっています。

大桑城
大桑城
大桑城
小原

市場城跡(大草城跡)

市場城は、標高380mの山頂にある室町時代の山城です。
文亀二年(1502)に初代鱸(鈴木)紀伊守親信が築いてから、文禄元年(1592)に退去するまで90年間、鱸氏の居城でした。(第二代 肥後守長重、第三代 伊賀守直重、第四代 越中守重愛)

現在見られる城の遺構は、四代城主重愛が串原、広瀬の城を攻めて大功をたて、天正十一年(1583)家康から所領の加増を受けたときに改修したものといわれています。改修には鉄砲の登場による戦法の変化や当時の築城技術の発達が反映され、「諸国古城之図」にみられるような総石垣化された曲輪や枡形門の跡などは、市場城が中世の城郭から近世の城郭へ転換したことを示しています。また、竪堀と竪土塁を斜面に沿って連続させる畝状空堀群は、愛知県下では珍しい遺構で見どころの一つです。

城内には、遺構に沿って一周十五分ほどの遊歩道がありますので、気軽に散策することができます。

市場城址
市場城址
藤岡

川口城跡

通称「城ケ峰」と呼ぶ山上(比高40m)にあります。矢作川を眼下に見下ろす山稜の頂を削り平にした場所が本丸と考えられています。本丸跡は南北約30メートル、東西10メートル、約3メートル下った南西面には幅5メートル程の曲輪と2か所の堀切跡があり、敵の侵入を防いだと考えられています。

川口城跡

小渡城跡

小渡城は標高240m、比高70mの丘陵に位置し矢作川と介木川の合流地点にある山城です。小渡温泉で知られているこの地区は、古くは美濃街道の宿場町、矢作川を利用した水運の湊としても栄えました。
小渡城は、増福寺(風鈴寺)の裏道を登ります。
見所の一つ「畝状空堀群」(曲輪の下の斜面に竪堀を畝のように何本も並べた遺構)は、市場城(豊田市小原地区)などに見られるものの、愛知県では非常に珍しい遺構で、横堀と組み合わせた堀の数は5 本で上部が土饅頭のようになっていて戦国期に改修されたと考えられています。
豊田市の「和徳寺文書」の今川義元安堵状からは、今川方の鱸氏が岩村衆(美濃)と広瀬氏(豊田市)と協力して1556 年(弘治2 年)に小渡城を普請していることが分かっています。また、郷内の土豪が「阿摺衆」という地域連合を結成したことも分かっています。
※出典︓愛知中世城郭研究会(1993)『藤岡・小原・旭の中世城館』
※出典︓愛知中世城郭研究会・中井均編『愛知の山城ベスト50 を歩く』

小渡城跡
小渡城跡
小渡城跡
稲武

武節城址

道の駅「どんぐりの里いなぶ」のすぐそばにある城址(別名:地伏城)。戦国時代初期の永正年間(1504~1521年)に田峯城主菅沼定信の支城として築かれ、長篠の戦いで敗れた武田勝頼が落ち延びた城として知られています。
1590年、徳川家康の関東移封とともに廃城となりましたが、今も5つの曲輪と空堀が残っています。

武節城址
武節城址
武節城址

チラシ・詳細等は後日公開予定


スタンプラリー開催記念 イベント

城郭ライター 萩原さちこさんをお招きしたイベントを実施します。

日本中のお城を巡り、各地で講演会やツアーを実施する(株)城旅デザインラボ代表で城郭ライターの 萩原さちこさんをお招きし、トークセッションとガイドツアーをいこまいるとよた会員限定イベントとして実施します。イベントの詳細は以下からご確認ください。

今回のスタンプラリーで初めて山城に訪れる方や、歴史や城には興味があるけど山城には訪れた事がないという方も楽しめるトークセッションとガイドツアーになります。
豊田市の学芸員がどちらにも参加し、歴史好きな方も満足していただける内容!豊田市の学芸員がどちらにも参、初心者向きと侮るなかれ~。

豊田

萩原さちこさんと学芸員による トークセッション

城郭ライター 萩原さちこさんと豊田市文化財課学芸員による、豊田の山城の魅力に触れるトークセッションです。
トークテーマ「いざ登城!とよたの山城」

豊田

城郭ライター萩原さちこさん学芸員の解説付き 足助城武節城 2城巡りツアー

講師に(株)城旅デザインラボ代表の萩原さちこさんをお招きしたガイドツアーを実施します。日本全国で城巡りをして、様々なお城関連の講演会やツアーにも帯同されている城郭ライター萩原さちこさんと一緒に山城を旅できる貴重な機会です。豊田市文化財課の学芸員も参加し広く深く豊田の山城の魅力に触れて頂けます。定員になり次第締め切りとなりますので、お早めにお申し込みください。

御城印もリニューアルします!

新たな台紙を利用した特別御城印を作成中です。
情報は後日公開です。


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