結果一覧
このマークのあるイベントはいこまるが貯まるイベントです。
「いこまいる」とは?
豊田の様々なスポットに出かけたり、イベントやスタンプラリーに参加することで、クーポンや特産品に交換できる観光サービスです。
豊田のお出かけがもっと楽しくなるサービスなので、ぜひご登録ください。
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豊田ORBIT
豊田市駅から徒歩5分のところにあるORBITは、人気ブランドのボードやウェットスーツなどサーフグッズの専門店。 また、完全予約制のサーフスクールも行っています。 SUPで矢作川を水上散歩してみませんか? スクールを受講された方で安全講習を受けた方はSUPレンタルも出来ます。
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豊田石野サーキット
レンタルカートではヘルメットやグローブ等も全てレンタル可能!仕事帰りに行ける気軽なサーキット場です。 また、仲間同士で集まって楽しめる貸切メニューも多数!! 一度レーサー気分を味わってみてはいかがでしょうか。
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豊田猿投山の球状花崗岩
球状花崗岩は黒雲母花崗岩中に白色の菊状紋様があるところから「菊石」と呼ばれています。最も美しく見られるのは、猿投山の中腹を流れる広沢川の清流とともに、水面からあたかも「菊花」浮かび上がったように見える露頭部分です。この模様は、石英・長石・黒雲母が放射状に並んで作られたもので、このような模様を形成する花崗岩はきわめて珍しいことから天然記念物に指定されています。
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豊田SWEN 豊田店
「パタゴニア」「ノースフェイス」「グレゴリー」をはじめ、サイクル・キャンプ用品などの一流メーカー品の正規取扱店であり、多彩なライフスタイルを提案するアウトドア専門店です。
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豊田鷲取神社
豊田東高校の東側に位置する御立地区の氏神様、鷲取神社。この地を平定した景行天皇の皇子・御立連の祖木入彦命を祀っています。春、秋の祭礼のほかに、毎年7月15日には天王祭が行われます。夜は大竿灯、絵行燈に献灯や祭囃子の奉納があり、七度参りも行われます。
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豊田豊田市美術館
かつて「七州城」のあった丘の上の豊田市美術館は、近代~現代の国内外を問わず、幅広い所蔵品が集められています。 また、美術館の建物は建築家・谷口吉生氏の代表作の一つとされています。館内には、講演会やコンサートなどを行う講堂、ライブラリーをはじめ、テラスを見ながら食事・喫茶が楽しめるレストラン、美術に関する書籍や様々なグッズが並ぶミュージアムショップなどの施設があります。
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豊田豊田煙火
花火(打上花火・仕掛花火)の製造、イベントでの花火演出や花火大会の運営などを行っております。夏の花火大会が100倍い楽しい!家族で学べる花火職人体験も行っています。
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豊田西広瀬城跡
西広瀬城跡は、矢作川右岸の標高約100mの尾根の先端に築かれています。集落との比高は約30mで、北西部は尾根続きとなっていますが、他は平地に囲まれ、東側には飯野川が南北に流れています。付近は織豊期に尾張領とされた高橋郡域、もしくは尾張領高橋郡と三河国の境目近くとなっていたと考えられています。 城主について残された資料は少ないですが、「三河国二葉松」には織田信長家臣の佐久間信盛の兄弟である佐久間左京亮などの名前が残ります。築城及び廃城時期に...
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豊田逢妻女川・彼岸花
毎年9月中旬から下旬にかけて、豊田市南西部を流れる逢妻女川の天王橋(丸根町)から男橋(宮上町)間、約450mの両岸の土手に彼岸花が咲き誇ります。 真っ赤に色付いた彼岸花を鑑賞したり、写真撮影をするなど、毎年、豊田市内外の多くの人々がこの場所を訪れています。
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豊田水源公園
矢作川沿いに広がる公園で、市内有数の花見スポットとして有名。春には、約400本の桜が咲き、辺り一面を桜色で染め上げます。冬にはカモやセキレイなど多くの水鳥が集まり、野鳥の宝庫に。水源公園から、豊田アローズブリッジなどを巡るサイクリングコースがおすすめです。
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豊田東広瀬城跡
東広瀬城は矢作川上流沿いの丘陵に位置する平山城です。城の範囲はおよそ東西300m、南北150mに及び、現在でも曲輪・堀跡の一部をうかがうことができます。主郭部分には、広瀬神社が建ち、「廣瀬城址」の石碑が立っています。虎口など、本来の通路の位置は明らかになっていません。築城年代は定かではありませんが、城主三宅氏は、松平・今川・織田氏と連合、対立、服従を繰り返しました。永禄3年(1560)、松平元康(徳川家康)に攻められ、落城したと伝えられます。
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豊田名鉄三河線廃線路(猿投駅~西中金駅)
平成16年3月31日に廃線となった三河線(猿投駅~西中金駅)にある駅。 三河広瀬駅・枝下駅・西中金駅をご紹介します。 中でも、三河広瀬駅と西中金駅は国指定文化財に指定されています。
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豊田西山公園
園内にはバラ園・モデルガーデン四季の花園・樹木見本園などがあり、季節に応じた花と緑を展示。管理事務所では「花とみどりの講座」「緑の相談」を行っています。
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豊田金谷城跡(衣城跡)
延慶年間(1308~1310)に築城されたと伝わります。現在の猿投から豊田市中心部にかけて広がっていた荘園である高橋荘を治め、鎌倉・室町幕府の有力な御家人であった、中条氏が拠点としていたと考えられています。永禄4年(1561)に織田軍により落城、中条氏は滅ぼされたとする説が多いですが、近年天文19年~23年(1550~1544)の間に今川氏によって金谷城を追われたとの見解も出てきています。その後、織田方の佐久間信直や余語正勝が城主・城代となっています。慶長9...
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豊田長興寺
臨済宗東福寺派雲山長興寺といい、本尊は十二面観音菩薩を祀っている。長興寺は、日本史の教科書にも載っている重要文化財「紙本著色(しほんちゃくしょく)織田信長像(筆者 狩野元秀)」を所蔵する寺である。信長の家臣だった余語正勝が、信長の一周忌にあたる天正11年(1583年)6月2日、報恩のため長興寺に納めたものである。
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豊田鴛鴨(押鴨)城跡
鴛鴨(押鴨)城は、北を除く三方を矢作川沖積平野が囲む、碧海台地の突端に立地し、鴛鴨松平氏初代から三代まで97年間(1468年~1565年)の居城でした。三河松平氏三代目信光は、岩津に進出し、岩津城を拠点にして、西三河地域一体は岩津に進出し岩津城を拠点にして、西三河地域一体へ勢力拡大を図ったと言われています。 鴛鴨松平家の2代親康の娘は、徳川四天王・榊原康政の母です。