＜豊田＞浦野合資会社　150年の銘酒「菊石」に魂を込めて

浦野合資のはじまりは元治元年（1864）年。猿投村で庄屋をしていた浦野家は、年貢米の集積や輸送を担い、武士の俸禄として米を納め、市場に流通させていた。そうした中で得られる余剰米を使って、初代・浦野判十郎氏が酒を造り始めたのだという。
造った酒には、猿投山の天然記念物「菊石」の名をつけた。信仰の厚い猿投神社から拝受した、神様へ奉納するありがたいお酒だ。きっと祭りには景気よく振舞われたのではないか。ところが、晴れの日はいつまでも続かない。昭和17年の企業整備により、酒造りは昭和18年から20年までの3年間禁止に。ようやく昭和21年から再開されたものの、今度は昭和22年に戦後のGHQによる農地解放政策で、持っていた土地を手放さなければならなくなった。それまで副業だった酒造りに頼っていくしかないが、これまでとは違い、米を「買って」仕込まなければならない…。次々と襲い掛かる不運に、この時代をよくぞ乗り切っていてくれた、と心から思う。

しかし、戦後の混乱期を経て、日本は高度経済成長期に突入すると、今度は再び晴天に。好景気とともに日本酒の消費量も増え続け、どれだけ造っても追いつかない、という状況になった。10月になると、杜氏や蔵人たちがやってきて仕込みが始まり、4月には終える酒造りの1年。六代目代表社員の武内純子さんも、この賑やかな酒造りの風景を覚えているという。そして今度は、日本酒人気が下火を迎える。黙っていても売れた時代は過ぎ、売れるための算段が必要な時代となったのだ。五代目正二のもと、酒販店に卸売をする時代から、新たに酒蔵開放などお客様を蔵に迎え入れる取り組みがされていた矢先、五代目の逝去。

新しい浦野合資を純子さんとともに立て直したのは、平成20年から杜氏に就任した新井康裕さんだ。大学時代から微生物の研究に勤しみ、卒業後は企業の品質管理に従事。その後、越後杜氏のもとで5年間、伝統的な清酒製造方法を学んできた。念願かなって30代で杜氏となった新井さんは、研究と伝統を取り入れた新しい酒造りに力を注ぐ。
「酒造りの条件は毎年変わります。米の出来具合は毎年異なりますし、気温や湿度も毎日に変化します。酒は麹や酵母といった生き物によって造られるので、同じ条件ということはあり得ません。でも、それを均一になるように調整していくのが杜氏。どんな条件であっても、長年愛されてきた菊石の味を再現するのはすべて杜氏のなせる業なんです」。

平成30年愛知県きき酒研究会（愛知県酒造組合主催）では、本醸造酒・吟醸酒・純米酒・純米吟醸酒の全ての部門で入賞し、本醸造酒の部で見事愛知県知事賞に輝いた「菊石」。温度によって香りと味の変化が楽しめる、柔らかなお酒だ。今や新井杜氏の「菊石」と呼ばれるまでになっている。

その時、ひとりの紳士が事務所に飛び込んできた。「『あらい彗星』ありますか？」。
「あらい彗星」とは、新井杜氏の趣味の世界で作られたお酒。（ガンダム好き…）そのため、限られた数か所でしか卸していない限定酒なのだが、この紳士はどこでその情報を仕入れたのか、発売日に（実際は取扱のない）会社までやってきたようなのである。「ほとんど情報も出ていないはずなのに…」と新井杜氏自身が、その反響に驚いていた。
ただ、呑兵衛からしてみると…新井杜氏には「この人のお酒なら飲んでみたい」と思わせる魅力がある。酒造りにかける、子どものような好奇心と、探求心。カッコよくいえば「ロマンがある」。話していると、こちらまでワクワクが伝染してくる。これからの酒は、よりマニアックな、指名買いの品になると思う。そういう観点からいえば、菊石ブランド以外にも、この新井杜氏のコレクションに期待したい。

そして2019年春、また新世紀が訪れる。2015年７月の火事で焼失してしまった築150年の事務所の代わりに、新しい販売所がオープン。二階にはイベントスペースもつくられるそうだ。純子さんも「蔵までは燃え広がらず奇跡的に助かったんです。事務所は全部なくなったから、思い切りよく作り替えられたかな」とどこまでも前向きだ。4月に店舗のお披露目会をする予定。この日のために新しいラインナップも用意する。
菊石の新しい1ページをぜひ、見に来てほしい。浦野合資に流れる、この底力、このたおやかさを。