結果一覧
このマークのあるイベントはいこまるが貯まるイベントです。
「いこまいる」とは?
豊田の様々なスポットに出かけたり、イベントやスタンプラリーに参加することで、クーポンや特産品に交換できる観光サービスです。
豊田のお出かけがもっと楽しくなるサービスなので、ぜひご登録ください。
-
松平松平郷館
松平郷館は、松平東照宮敷地内にあり、江戸幕府を開いた初代将軍徳川家康の祖先である松平家に関する展示を行っています。「松平親氏公の座像」はじめ松平家の遺品など200点あまりを展示しています。
-
松平松平東照宮
松平郷にある松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖・松平親氏を祀る神社。2015年に徳川家康公400年祭メモリアル事業として、安藤則義氏が2年の月日をかけ、漆絵の天井画を施しました。108枚の漆絵は松平で見られる季節の草花が描かれ、観る者を魅了する壮麗さです。また、境内には家康公も産湯として用いたと言われる「産湯の井戸」があり、不老長寿や安産の御利益があるとされています。また、拝殿そばの「松平郷館」では、具足や軍配、軍扇、鞍や火縄銃、家康像など...
-
松平松平郷園地
松平氏の発祥地として有名な松平郷に整備されたのが、歴史と自然の里「松平郷園地」。ここでは、春はサクラ、初夏にはハナショウブやアジサイの花々、秋にはハギの花や紅葉など、四季を通じてさまざまな自然の風景を楽しむことができます。松平八代を象徴する「石柱」や「親氏像」、室町時代を連想させる「土塀」や「冠木門(かぶきもん)」、武家屋敷風の休憩所「天下茶屋」などがあり、歴史の風情を楽しみながらの散策ができるスポットです。
-
松平松平城跡
松平城は家康公の先祖にあたる松平親氏によって築かれた城。城には、本丸と二の丸があったと言われ、山腹には山を包む様に約400mの空堀の跡が残っています。城跡は室町時代の典型的な山城であったと推測されるもので、日頃は松平郷の居館にすみ、いざ戦いとなるとこの城にたてこもったと言われています。親氏が信光とともに岩津城へ移ってからは信広の居城になりました。
-
松平妙昌寺
妙昌寺は、1300年代後半から松平郷を治めていた松平家と深いつながりのある曹洞宗の小さなお寺だ。お寺は王滝渓谷にあり、苔むした石垣で固められた段々畑の上に建つ。渓谷の入り口にある龍門園地駐車場から川沿いの坂道を歩いて数分で着く。1854年に建てられた本堂と、渓谷に面した本堂よりやや古い門、そして鐘楼がある。妙昌寺の本堂は、通常非公開である。 寺は1350年代に旅の禅僧によって創設され、当初は孤独な精神修行のための場所だったという。その後、松平...
-
松平松平郷
松平郷は徳川家のルーツといわれている松平氏の発祥の地。 ここには松平東照宮をはじめ、初代親氏をまつる高月院、松平城址など松平氏ゆかりの史跡が多く残っています。植物も多く自生しており、春はサクラ、初夏にはハナショウブやアジサイ、秋にはハギや紅葉など、四季を通じてさまざまな自然の風景を楽しむことができます。
-
松平高月院
高月院はもとの名を「寂静寺」ともいい、寛立上人が在原信重(親氏の妻の父親)の援護を受けて1367(正平22)年に建立。1377年、親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ堂・塔のすべてを寄進し、高月院になりました。現在の山門や本堂は1641年に徳川家光によって建立されたもの。境内には、松平家墓所があり、親氏、泰親、親忠夫人の墓が並んでいます。毎朝6時半から「朝勤行(あさごんぎょう)」、5月下旬には「天下茶会」が開かれ、多くの人が訪れます。
-
旭小渡城跡
小渡城は標高240m、比高70mの丘陵に位置し矢作川と介木川の合流地点にある山城です。小渡温泉で知られているこの地区は、古くは美濃街道の宿場町、矢作川を利用した水運の湊としても栄えました。 小渡城は、増福寺(風鈴寺)の裏道を登ります。 見所の一つ「畝状空堀群」(曲輪の下の斜面に竪堀を畝のように何本も並べた遺構)は、市場城(豊田市小原地区)などに見られるものの、愛知県では非常に珍しい遺構で、横堀と組み合わせた堀の数は5 本で上部が土饅頭のよう...
-
旭愛知県旭高原自然の家
標高620メートルの愛知高原国定公園ある、自然豊かな社会教育施設。ウォークラリー、ハイキング、キャンプファイヤーといった野外活動のほか、木製小物の創作活動もできます。自然と触れ合い、社会性の育成を図ることが出来ます。また宿泊施設もあり、季節に沿ったイベントが行われています。
-
豊田豊田市能楽堂
市街地再開発ビル「参合館」の8階にある能楽堂。切妻造りの屋根と総ヒノキ張りの舞台があり、一歩足を踏み入れると日本の古典芸能の世界へといざなわれます。 能楽が盛んに行われていた桃山時代の能舞台をイメージした造りで、ロビーには武家を象徴する文様やデザインが施されています。能楽堂は本来、屋外に設置されていたもの。その名残である屋根や松の絵が当時の雰囲気を演出しています。 本格的な能舞台にて、能狂言を楽しむことはもちろん、子ども向けのイベントや...
-
豊田豊田市本多記念民芸の森
実業家で、豊田市名誉市民でもあった、本多静雄氏の屋敷跡地に作られた「豊田市本多記念民芸の森」。民芸の普及や古陶磁の収集・研究に取り組んだ本多氏の数々の収蔵品がクヌギ林の中に点在しています。田舎家や茶室、陶磁のこま犬、日本で最古級のコンクリート製電信柱など、ユニークな品々を観覧しながら森の中を散策すると、とても気持ちがいいものです。 春夏秋冬、それぞれの魅力を見せてくれる林はもちろん、季節ごとに各種イベントも開催されているので、公式ホ...
-
豊田挙母城隅櫓(七州城)
童子山の高台には、かつて挙母城の城郭(本丸)が置かれていました。この挙母城は、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・伊賀国・伊勢国・近江国の7つの国が望めることから七州城と名づけられました。現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。1978年(昭和53年)には隅櫓が復元され、童子山に挙母城があったことを今に伝えています。
-
豊田【閉館】豊田市郷土資料館
豊田大塚古墳(河合町)の発掘を機に、昭和42年に開館した豊田市郷土資料館。敷地内には、展示室を含む本館・民家(民俗資料館)・古墳・屋外カマド、土蔵があり、県内最大級の「手呂の銅鐸」、装飾須恵器などを展示しています。常設展では旧豊田地域の歴史を原始から現代までわかりやすく展示し、年に1回の特別展や企画展のほか、歴史体験講座なども行っています。
-
豊田広見城跡
広見城は、豊田市の西北部、標高270mの山頂から山腹にかけて位置する山城です。 織豊政権下では、三河国でありながら、尾張領とされた高橋郡内に位置します。 江戸時代中期に記された地誌『三河国二葉松』によると、城主は中条将監季長と伝えられ、中条氏は近在の八草城主でもあったと記されます。築城の時期については資料がないためはっきりしませんが、中条将監の名は、『信長公記』にも散見されることから、早くから織田信長の家臣であったと考えられます。 織田...
-
豊田西広瀬城跡
西広瀬城跡は、矢作川右岸の標高約100mの尾根の先端に築かれています。集落との比高は約30mで、北西部は尾根続きとなっていますが、他は平地に囲まれ、東側には飯野川が南北に流れています。付近は織豊期に尾張領とされた高橋郡域、もしくは尾張領高橋郡と三河国の境目近くとなっていたと考えられています。 城主について残された資料は少ないですが、「三河国二葉松」には織田信長家臣の佐久間信盛の兄弟である佐久間左京亮などの名前が残ります。築城及び廃城時期に...
-
豊田東広瀬城跡
東広瀬城は矢作川上流沿いの丘陵に位置する平山城です。城の範囲はおよそ東西300m、南北150mに及び、現在でも曲輪・堀跡の一部をうかがうことができます。主郭部分には、広瀬神社が建ち、「廣瀬城址」の石碑が立っています。虎口など、本来の通路の位置は明らかになっていません。築城年代は定かではありませんが、城主三宅氏は、松平・今川・織田氏と連合、対立、服従を繰り返しました。永禄3年(1560)、松平元康(徳川家康)に攻められ、落城したと伝えられます。